一日一善と三膳

一日一善と三膳を通して世界とおれを幸せにする

4月30日に発熱してからの顛末

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6月24日水曜日。曇りのち雨。

新型コロナウィルスの影響により、4月から始まった在宅勤務(輪番制)も6月で終了する。娘が保育園に行くのを再開できたのが6月15日月曜日からだった。娘が家にいた間の在宅勤務はあまり仕事にならなかった。と思っていたが、実際娘が保育園に行っている日の在宅勤務もそれほど仕事に集中できなかったおれ。娘のせいにしていてごめんなさい。

 

このブログを書くのが約8ヶ月ぶりだ。

世の中は新型コロナウィルスの影響によりこれまでの日常が日常ではなくなった。

嫁はこの期間に就職し退職した。週末の家族での買い物はなくなった。散髪も最近になってやっと行くことができた。

 

おれは4月30日の午後に会社で発熱してしまい、急遽帰宅した。武蔵小杉の駅で降りてホテルに泊まるのが良いのか考えたが、電話口の義父の「ホテルに行くのも迷惑がかかるかもしれないから」と言う言葉に納得して、家の近くの病院に電話して症状を伝えた。病院に行くことが許され診断してもらった。先生が言うには「2割から3割可能性はある」とのことだった。「先生、家に帰ってもいいのでしょうか?ホテルに泊まった方がいいのでしょうか?」と聞くと「ホテルに泊まるって言ったって2週間3週間だよ。お金もバカにならないし、家族とは食事とお風呂と寝る部屋を分けて、帰った方が良いよ」とのことだった。

 

親指にセンサーのようなものを当てて肺の状態を見てくれた。「レントゲンなんかよりも確実に肺の状態がわかるんだ」「そうなんですね」「肺は大丈夫。あと血液検査しておこう」「はい」「PCR検査はね今のあなたの状態だと受けることすらできないんだ。1ヶ月後にはもしかしたら検査できる機会が増えて受けられるかもしれないけど、今は咳も出てないし肺の状態も良いから全然受け付けてくれないんだ。もし今日出す薬が効かなくて症状が悪くなれば、すぐに大きな病院にかけあうから安心してね」おれはこの病院に来たのは2年ほど前に急性扁桃炎にかかった時以来2回目だったが、先生に惚れてしまった。

 

血液検査をしてしばらく隔離された部屋で結果を待った。おれは自分の身も心配だったが、それよりも同居する娘と嫁が心配だった。また遠くに住む両親にどう報告すれば良いのかわからなかった。

 

新型コロナウィルスは進行のスピードが早く、重症化する場合は2、3日だという話が頭の中から離れなかった。本当に死ぬかもしれないと思った。死ぬと言うことがこれほど身近に感じたことはこれまでに一度しかなかったが、今回もその時と同じことを思った。死というのは普段は遠い場所に感じるものだけど、意外と、すぐそこにあるものなんだなと。

 

4月30日木曜日の午後16時頃に帰宅した。熱は39度だった。ふらふらする感じはなかったが悪寒が凄かったのと、喉に痛みがあった。家に帰って妻に先生に言われたことを説明し風呂に入って、風呂を洗った。食事は食べる気にならなかったので夜が来るのを待って(夜になるまでの間も家の外に居ようかとも思ったが、今更、と言う気もして家の中にいた)ベッドで眠らせてもらった。嫁はいつも娘が1人で寝ている布団に娘と一緒に寝た。

 

病院でもらった薬をしっかりと飲み、体温を広告の裏に記録した。熱は薬(解熱剤含む)を飲んで1時間後くらいから下がって5時間が過ぎる頃から再び上昇することがわかった。喉の痛みも相変わらずだった。

 

そして先生に指定された通り土曜日の朝に再び病院に行き、広告の裏に記録した体温表を提出した。看護師のおばさんは「あら、真面目ね」と言った。妙な気分だったが、はははと謎の笑みを浮かべてやり過ごした。もし陽性だったら妻と娘に申し訳ないと思った。

 

先生に再び血液検査をするよう言われ、採血が終わり先生を待った。

 

「熱は下がってないみたいだけど、状態は良くなってるよ」と言われたが、安心はしなかった。「可能性は1割くらいに下がったと思うよ」と言いながら先生はまた肺の状態を測ってくれた。「肺の状態も大丈夫だね。喉は痛みはあると思うけど、腫れが治ってきてるから大丈夫。お薬変えてみるからまた木曜日に来てね。実際似たような症状で来た人も20人くらいいるんだけど、みんな快方してるから、まあ大丈夫だと思うよ。それに前に扁桃炎で来てもらった時よりも血液の状態も良いしね」と言われてやっとほんの少しだけ安心した。

 

日曜から水曜の午前までは熱は上がったり下がったりを繰り返していたけど、水曜の午後から翌日病院に行くまでの間は1度も熱は上がらなかった。何度も熱を計って、その度に下がってくれ、下がってくれと祈った。自分が辛いからではなく、新型コロナウィルスを否定したかったからだ。

 

5月7日木曜日に病院に行った時にも広告の裏に追記した体温表を出した。

 

「大丈夫だね。薬は2週間分出しておくけど、もし具合が悪くなったらすぐ電話してね」と言われて、また先生のことが好きになった。「診断は急性扁桃炎です。でも会社には2週間は行かないようにね」と言われた。

 

そして我が家のゴールデンウィークは終わればよかったのだが、実は、5月4日月曜日に嫁が喉に違和感があると言い出した。だが翌日、違和感は痛みになったと嫁が言った。ゆっくり休んでもらおうと、おれは娘を連れて徒歩20分ほどの公園に出かけていた。公園に着いて嫁に何か買って帰るものがあるかと聞こうと電話をすると、嫁は息切れを起こしていた。喋ることはできていたが、少し苦しいとも言っていた。突然苦しくなったのかと聞くと、少し掃除機をかけた後から苦しくなったと言った。公園に着いたばかりだったが、すぐに娘をベビーカーに乗せて、全速力の早歩きで家に戻った。家に戻ると嫁の息切れはおさまっていて、スマホでゲームをしていた。けろっとしていた。おれは腹が立ったが、ゆっくりいら立ちを見せないように気をつけながら「もう苦しくないの?」と聞いた。「大丈夫」とこちらに視線もくれずに嫁は答えた。コロナ離婚という言葉が頭の中をよぎった。

 

よく考えてみたら、おれが発熱してからも嫁はGWだからというのもあったとは思うが、夜更かしをしていたし、多分体力が落ちていたのだと思う。結局5月7日、自分が再び病院に行く日に無理やり病院に行かせた。嫁にはかかりつけの病院があったのでそちらに行くと、すぐに、急性扁桃炎だと診断されて帰ってきた。

 

ということで、おれと嫁は同日に急性扁桃炎だと診断されることになったのだ。今思い出しながら書いていても、気分が悪くなるが、過ぎたことだ。再び忘れることにしよう。あれからもう2ヶ月が過ぎようとしている。

 

いまだに新型コロナウィルスは世界各地で猛威をふるっている。油断はできない。自分が発熱をして実際に病院に行き今思うことは、恐らく実際に感染している人は、毎日発表されているが、その数倍はいてもおかしく無いと思う。

 

単純な話、今はまだ検査を受けることができる人の数が限られているからだ。実際に自分がお世話になった病院の先生も、20人発熱した人が来たものの、検査を受けることができた人は0人だったと言っていたし。これから検査を受けることができる人の数が増えれば、その数に比例して感染が判明する人も増えると思う。

 

だからと言って今以上に気をつけようも無いのだけれど。

よく食べよく寝て、しっかり手洗いうがいをし、マスクを着用することだけはやっていこうと思う。

 

遠くに住む両親には、発熱してから1ヶ月が経った6月初旬にできるだけさらりと聞こえるように「そう言えば4月の終わりに発熱してさ」と伝えた。母親には「そうだろうと思ったのよ」と言われた。娘の写真や動画を共有しているのだが、その頻度があからさまに減ったからおかしいなと思っていたらしい。

 

 

5:30起床。4.4kmジョギング。6:30娘と妻を起こして朝食。娘はアンパンマンのスティックパンに苺ジャムを挟んであげた。2本に苺ジャムを挟んであげたけど、袋に入っている苺ジャムを挟んでいない分から食べた。次に苺ジャムを挟んだ分を食べて、最後の1本は苺ジャムを挟んだ分を食べたが、残り一口のところで「もうやめとく」と言って、蜂蜜きな粉ヨーグルトも残したまま朝食終了。おれはロールパン2つに苺ジャムを塗って食べ、コーヒーを少し飲んだ。嫁もロールパンを食べていた。