一日一善と三膳

一日一善と三膳を通して世界とおれを幸せにする

遠い国の話から、遠い昔の話

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25日月曜日 晴れ。少しだけ暖かい。喫煙所に行くのにダウンジェケットを着ていかなくても大丈夫だった。

 

会社のパソコンはWindowsだ。スタートアップ(パソコンの電源を入れた時に立ち上がるソフト等)にはGoogleMapを登録している。

 

業務で地図を使うことなどほとんどないのだけれど、息抜きによくGoogleMapを見るからだ。行った事のある土地を探訪して回るのが好きだ。

 

今から約15年前にはGoogleMapも無かったような気がする。もしかしたらあったのかもしれないけど、少なくともおれはその存在を知らなかった。

 

高校のパソコン教室に行って、実家の町のことを時々検索していた。検索結果には、町の運営しているサイトが出てきて、ほぼテキストだけで、その様子を伺っていた。たまに運が良いと、写真が貼ってあった。誰がそのサイトを更新していたのかも、大体の予想がつくほど小さな町でおれは育った。

 

高校入学と同時に実家を離れて、寮のある高校に入った。そして15歳のおれは世界の広さを知った。そして日本も多分狭いのだろうと想像した。それから5年後におれは海外にも足を伸ばしてみた。それももう今から10年も前の話だ。

 

今日は10年前に訪れたプラハの街並みを見てみた。記憶がどんどん薄くなっていっているのを実感した。

 

それから東京ドームシティの近くを嫁と二人で歩いている日のことを思い出した。おれは必死に嫁を口説いていた。今晩どうにか、交われないかと。嫁は執拗に拒否し、おれはそれよりも更に執拗に誘っていた。その晩、交われたのかどうか、覚えていない。覚えていないということは、きっと交われなかったのだと思う。昨晩と同様に。

 

おれは年に一度、嫁と交わる日というのを設けて、それを儀式にしようと考えている。なぜなら、このまま生活をしていけば、おそらく年に一度も嫁と交わらない、交われないような気がしているからだ。

 

最低でも、年に一度。これをどうにか実践したい。365分の1。どこにその日を置くのか?おれの誕生日にしようと思ったけど、それだと何だか、それがおれにとってのご褒美感が出てしまう。それはいけない。交わりはご褒美であってはならないのだ。交わりは、ただの交わりであるべきなのだ。特に夫婦間においては。

 

ということで、それは毎年25日にしようと思う。今晩は早く帰ろうと思う。タリーズでこんなことを書いている場合ではないのだ。今すぐ電車に乗らなければ。

 

 

と意気込んで電車に乗り帰宅したものの、あの日後楽園を歩いていた時のような気持ちの高ぶりは、もうないみたいだ。

 

今日のところは、静かに眠ろうと思う。もし夢の中で交われたなら、それはそれで良しとしようか。

 

 

エレベーターに駆け込んでくるおじさんのために開けるボタンを押しておいてあげた。一日一善。第99善。ごちそうさまでした。

 

今朝の体重77.9kg

朝 タリーズのホットドックとカフェラテ

昼 シーチキン手巻き寿司、Lチキ旨辛

夜 ごはん、鳥の唐揚げ、ポテサラ

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一日三膳。ごちそうさまでした。

 

 

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