一日一善と三膳

一日一善と三膳を通して世界とおれを幸せにする

軽トラ、イノシシ、子育てについて考える

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325日日曜日 晴れ。暖かい。

 

今日は一日予定は何もない。休息日だ。

嫁は『鬼灯の冷徹』の最新刊を買いに、電車に乗って出かけた。娘と二人きりの数時間だが、2ヶ月前くらいの緊張感はおれにはもうない。泣き叫ぶようなこともなくなったし、もし泣き始めても泣きやます方法をおれが体得しているからだ。

 

でも嫁が出掛けている間の4時間、娘はほとんど眠ってくれた。良い子だ。

 

晩ご飯を食べ終えて、娘も寝かしつけた後に、嫁が福岡空港で慌てて買ったケーキを食べた。おいしかった。明日からまたいつもの日々が始まる。今日は早く眠って明日に備えたいと思う。

 

おれはなぜ東京で暮らしているのだろうか?今回の帰省を通して、今一度考えてみたいと思った。

 

多分、東京で暮らしている意味なんてないのだと思う。仕事があれば、実家の近くで暮らした方が良さそうだと思う。でも、よくある”田舎の方が子育てがしやすい”と言うのは、個人的には信じがたい。近くに大きな病院もないし、子どもが好きそうなこれと言ったレジャー施設なんかもない。学校に通うには親の車での送迎が必要だし。イノシシに襲われる危険性だってある。

 

イノシシと言えば、小学生の時にたかちゃんのじいちゃんの軽トラで家まで送ってもらっている途中に、道路の真ん中にイノシシが出てきたことがあった。たかちゃんのじいちゃんは猟師だった。

 

「つかまれー!」

 

と言う声とともに、たかちゃんのじいちゃんはアクセルを踏み込みイノシシに突っ込んだ。ものすごい衝撃と音だった。じいちゃんは「大丈夫か?」とおれとたかちゃんの方を一瞥してから、外に出て動きの止まったイノシシの後ろ足を掴んで軽トラの後方まで引っ張って行った。そして間も無く「ピギャ」と言うおそらくイノシシの最後の声だろうものが聞こえた。それからドカッと言う音と共に、軽トラが揺れた。おそらくたかちゃんのじいちゃんがイノシシを荷台に載せた音だったのだろう。それからたかちゃんのじいちゃんは何事もなかったかのようにまた軽トラを走らせた。

 

家まで届けてもらって、たかちゃんに「ばいばい」と言い、たかちゃんのおじいちゃんに「ありがとうございました」と言うまでおれは言葉を失っていた。

 

その晩、たかちゃんのじいちゃんが家を訪ねてきた。

「ほらこれさっきの肉や」と言い、真っ赤に染まったビニール袋をおれに手渡した。

 

イノシシの肉はたいていいつも生姜と共に煮込まれていたのだけれど、その日に限っては生姜が入っていなかった。新鮮だったからだろうと今思い当たる。

 

 

 

やっぱりなんだか田舎暮らしも、悪くないような気がしてきた。こんなことを書いていたら、早く寝るつもりが、遅くなってしまった。

 

また明日。

 

 

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