一日一善と三膳

一日一善と三膳を通して世界とおれを幸せにする

便所の落書きが教えてくれたこと

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Macのデータが消えて1週間が経った。そしておれはこの1週間ブログが書けなかった。おれはおれが感じている以上に、ショックだったのかもしれない。というなんだかよくわからない状態に陥っている。

 

今回おれがバカだったのは、HDをフォーマットする前にデータがクラウド上に保存されていることをきちんと確認しなかったことだ。慢心。それだけ。

20万字書き溜めていた文章が消え去った。たった一つのワードファイルだ。多分容量は10MBもなかったんだと思う。

 

もう書き溜めるのはやめようと思う。書いたらすぐにこのブログにアップしてしまおう。

 

ただ、ネックになることがある。それは「一日一善と三膳」というこのブログの根幹を成す部分だ。これまでは1投稿毎に必ず一善と三膳も添えて書いていた。これがなかなか難しい。

 

一善を行うことも、三膳を頂くことも、これ自体はさして難しくないのだが、タイミングが難しい。三膳がわかりやすい。要するに晩ご飯を食べ終わった後にしかおれは更新できないのだ。

 

かと言って「一日一善と三膳」は辞めたくない。だからこれからは、夕ご飯を食べた後にこれまで通り「一日一善と三膳」を記した記事をアップして、それ以外のタイミングでも、何かを書いたらすぐにここにアップしていこうと思う。

 

これがその最初の1記事目だ。

 

誰かが「ブログやツイートなんて、便所の落書きだ」と言っていた。的確な表現だとおれは思う。特におれのように匿名で書いているものなんて、その最たるものだ。

 

でもおれは、小学5年の時に、家から少し離れた場所にある普段は行かないスーパーの、まさに便所の落書きで自分を慰める方法を知った。丁寧に図解までしてくれてたものだから、おれは一夜にして自分の慰め方を体得した。

 

「便所の落書き」を侮ってはいけない。

 

何の話をしているのかよくわからなくなってきた。

あまり推敲ばかりしていても仕方がないから、書いたものからアップしていこうと思う。それだけの話だ。

(執筆時間47分)